演技と演出

演技と演出 (講談社現代新書)

演技と演出 (講談社現代新書)

 平田オリザ講談社現代新書第2弾。前回の「演劇入門」とセットでとらえてもらいたい本らしい。実際、内容が重複する箇所は多い。前作が劇作家のためのものだとすると、本作は役者や演出家のためのものとなっている。
 演出家はまず、作品と観客とのイメージを一致しなければならない。そして、世の中にはイメージの共有しやすいものとしにくいものがある。演劇はもちろん、イメージの共有しやすいものから入っていく。
 次にコンテクストをすり合わせなければならない。人間は、往々にして、2つの思い違いをする。1つ目は、表象の一致である。自分の考えは、当然、自分の考えている事物と一致しているとすることである。2つ目は、間主観性の一致である。自分と相手との間で、言葉と概念が一致していると考えることである。演出家は、この点に注意しながら、コンテクスト一致させていかなければならない。
 演劇における「間」は、観客に想像させる時間を与えるものである。次に演出家は、広げた観客の想像力を閉じなければならない。このときに大切なことが、観客に「やっぱり」と思わせることだ。
 社会的な役割と、人間的な役割は対極にあるものだ。そのため、社会的役割の強いキャラクターを描く場合、そのキャラクターの人間的な側面を強く意識しなければならない。そして、演劇的な喜劇とは、人間的なものが、社会的なものに侵食されたときに起きる。
 新劇の演劇の本質は「心理」にある。戯曲を読みこみ、そこから感情を読み取り、その心理状態を再現することを、発語の根拠とする。「心理」「論理」「理性」といったものがキーワードとなっている。一方、70年代から起きたアングラ演劇では、そのような新劇に対して、人間はそんな理性的な存在ではないというカウンターを浴びせる。ここでのキーワードは、「本能」「無意識」「情念」となる。では、90年代に起こった「静かな演劇」とは何であったのか。それはこれまでの演劇の主体性といったもの否定した、人間の関係性といったものに焦点をあてたものであるといえる。
 そもそも演劇における演出家とは、1870年代にできた新しい職業である。シェイクスピアの時代には演出家がいなかったわけだ。それがどうして演出家が必要になったのかというと、人間の人生も複雑になり、そこに現れてくる悩みを一筋縄ではいかなくなった。それを取りまとめるため、演出家は誕生したのだ。