嘘つきアーニャの真っ赤な真実

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 著者の米原万里は最近逝去したばかりで、生前はロシア語の同時通訳やエッセイストとして活躍していた。本書は、彼女のエッセイのような、ノンフィクションのような回想録である。名著であると思う。
 米原の父は日本共産党の幹部で、あるときにプラハに大使として長く滞在していた。娘である万里もそれについて行くこととなり、プラハソビエト学校に通うことになる。ソビエト学校とは、世界中から集められる共産党員の大使たちの子どもが通う専門の学校である。共産圏では、彼らはエリートの子どもであり、ソビエト学校は、エリート候補の通う学校であった。著者が、プラハソビエト学校に通ったのは1960年代であって、彼女の小学校4年生から中学校2年生までの時期にあたる。
 本書は、著者がその学校で出会った3人の女の子たちと、時を隔てて1990年代に苦労を経て再会した話をまとめたものである。3人の女の子とは、1人目は、ギリシャ人だけど、ギリシャに行ったことのない女の子。2人目は、すごい嘘つきだけどみんなに愛されているルーマニアの女の子。3人目は、日本の浮世絵が好きなユーゴスラビアの女の子。どの子も、どんなクラスにでもいそうな普通の子達である。
 著者の目を通して、彼女がプラハで出会った女の子たちの目を通して、1960年代以降の激動の東ヨーロッパ史を振り返るというのが、本書の肝である。あの時代を、あの女の子たちはどのように生き、どのように変わっていったのか。確かな知性に裏打ちされた著書のまなざしは、再会した彼女たちを優しく見つめる一方で、その向こうにあるどうしようもならない世界の現実の何かに気づいている。
 表題にもなっている、ルーマニア人で嘘つきの女の子アーニャの話が本書の白眉である。国家、民族、宗教、言語、それともお金、または愛する人。僕たちの心の支えとなる存在とは何であるのだろうか。その中に上や下なんて比較はあるのだろうか。また、それをどのようにして見つけていくのが正しいのか。