ディズニーランドという聖地

ディズニーランドという聖地 (岩波新書)

ディズニーランドという聖地 (岩波新書)

 著者は、東京ディズニーランドを作る際、アメリカのディズニーとの間で通訳などの橋渡しをした人物で、アメリカ文化研究の学者である。フォルト・ディズニーの生い立ちをふまえながら、ディズニーランドとは何か解説する。
 フォルト・ディズニーは1901年に、シカゴの貧しいプロテスタントの家の四男として生まれる。フォルトの父は、恐ろしく厳格で狂ったように勤勉な人物であった。いくつもの事業を起こしては、それに心血をそそぐのだが、事業が成功することはなかったようだ。幼い子供たちも父の仕事を手伝い、当然フォルトもそれに加わった。フォルトの少年期の記憶は、ミズーリでの記憶である。ミズーリアメリカの内陸の州で、夏は暑く冬は寒い、気候は北海道の旭川に似ている。冬はちょっとの外出で凍死する者が出たり、砂嵐のせいで発狂者が出るのも珍しくない、厳しい環境であった。ディズニー一家はそこで農場を営んでおり、フォルトも当然それを手伝っていた。ミッキーマウスが清潔好きで楽天的であるという点、ディズニーの作品世界が、自然の徹底的な否定と狂信的な衛生思想であるという点は、フォルトの少年期のこの記憶から、象徴的であると読みとれる。
 ディズニーランドをつくるにあって、ディズニーが意識したことは、誰もが持っているであろう「子供性」という部分と、「田園の少年時代」といったものでイメージされるアメリカのノスタルジーである。マーク・トウェイン、ロックウェル、ディズニーの3人はそれぞれの領域で、ヨーロッパの模倣ではない、アメリカ独自の世界を創造しようとした芸術家である。そしてそれらの世界は、「田園の少年時代」というイメージに抽象できる。これらの哲学をもって、ディズニーはこれまで2Dのアニメーションの世界で構築してきた世界を、3Dの世界で実現しようとしたのである。
 ウンベルト・エーコが、ロウ人形館とディズニーランドとを比較してこう述べている。前者がせいぜい「本物の佳作」止まりであるのに対し、ディズニーランドは「ニセモノの大傑作」である、と。ディズニーはその思想を実現しているうちに、「本物以上に本物らしい」リアリズムを獲得するにいたった。そして現在、これは僕たちの周りの都市の風景にも、あてはまるようになってきている。