福沢諭吉

福沢諭吉 (岩波新書 青版 590)

福沢諭吉 (岩波新書 青版 590)

 本書を読むと、「学問のすすめ」の中に出てくる、「天は人の上に、」といった言葉から連想される聖人君子的な福沢像からは想像できない、福沢諭吉の人間くさい姿を知ることができる。ものすごく熱い人間であったのだと知る。
 福沢諭吉は、1835年に中津奥平藩の下級武士の家に生まれ、1901年になくなっている。福沢の人生は、1868年の明治維新の年を境にして、それ以前以後とそれぞれ33年ずつに分けられる。諭吉の父は、能力はあったものの生まれが低かったため、立派な地位に立つことはなかったらしい。そのために、父は諭吉が産まれた際、自分の人生を顧みるに、この子には僧侶にさせようかとも考えたらしい。その父は、諭吉の赤ん坊の頃になくなっている。そのため、諭吉は父についての記憶はまるでない。しかし、母よりたびたび語られる話より、父の高潔な人柄は、しっかりと諭吉の中に形を残すこととなる。むしろ、実際の父を知らなかったことで、父の姿がより理想化されて、諭吉の中で道徳的な支えになっていたと、本書はしるす。
 福沢の行ったことを簡単に言えば、封建的な社会からの開放を指揮することだった。明治政府とはパイプを持ちつつも、決してその一角には加わらず、慶応義塾の塾長として、多くのベストセラーを世に出す、偉大なるオピニオンリーダーだった。開放を推進させていく思いの中には、当時の日本の抜き差しならない立場ということもあろうが、出世を望めない下級武士の生まれであったという反骨精神もあっただろう。
 この時代の、いわゆる近代日本人とされる人たちを見ていると、もうなりふりかまってなんかいられないという、狂気に近いものを感じる。