マックス・ウ゛ェ―バー入門
- 作者: 山之内靖
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1997/05/20
- メディア: 新書
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本書においてのウ゛ェ―バー観。
- 問題の中心におかれていたのは、行為の内面的動機付けと外面的な客観法則との間の、複雑で逆説的でもあるような関連を解明しようとすること
- 近代主義者ではなく、近代主義の批判者だった
- きわめてニーチェ的だ
- 西洋の近代化は、戦士市民ないし騎士層のエートスを打倒してきた歴史である。その結末が、資本主義と官僚制に他ならない
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」については、
純粋に宗教的な特徴を帯びた言説が、説教者たちの意図を超えた形で、経済的な行為の領域に影響を及ぼすという飛躍―したがって逆説―、それを語ることこそが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の主題になっている。(p,64)
では、カルウ゛ィニズムの説教とは、どのような変化をあたえたのか。カルウ゛ィニズムの非人間的な側面を徹底することにより、人間の社会からは呪術ないし被造物進化に類する感情要素は大幅に排除された。その結果人たちは、前例の無い個人的な孤立性の中に自らをおくことになった。
そういったものを背景にもつ社会の変化を、ウ゛ェ―バーはいくつか指摘している。
1つめが、反権威主義、民主主義の傾向である。
2つめが、感覚文化の拒否。これはピューリタリズムの思想を思い浮かべればわかりやすい。しかし、これにより数学や物理学が発展する。
3つめは、社会の組織化の変化である。内面的な孤立化をすすめた個人が、組織を作ろうとしたとき、そこにはもうギルドや血縁集団といった絆は期待できない。作られた組織の目標は、功利的な意味で効率性を通して、社会の一般な豊かさに貢献するという以外には、設定することができなくなってしまっていた。
他にも、宗教改革により、修道院で行われていた禁欲的で合理的な生活が、日常の世界に解放されたという点もある。