教養としての言語学

教養としての言語学 (岩波新書)

教養としての言語学 (岩波新書)

 以前、「記号論への招待」という本を読んだが、内容はその本にかぶる。「記号論への招待」のほうが、ディテイルが細かく情報量が多い。本書の方が敷居が低く、わかりやすい。
 さて、「記号論への招待」のほうにつけくわえておくとして、ヤコブーソンが示した言語の主要な機能分けを、メモしておく。

  • 表出   言語行動をおこす場合には、その人の心や身体内にその原因となるような変化や働きがなくてはならない
  • 他動   相手にうったえかけ、相手を動かす機能
  • 描写   
  • 詩的機能 言語活動の中心が、「何を言うか」つまり描写であるのに対し、「どのように言う」ことが効果的であるか選択すること
  • 交話   人々が本格的な会話に入る前の潤滑油のようなもの
  • メタ言語 語る内容が事物や事象といった言語外の対象であるタイプの言語を、オブジェクト言語と言い、語る内容がこれまた言葉であるような言語を、メタ言語と言う

 本書の独自の部分でおもしろい点。
 人間にとって「歌う」ということは快感をもたらす自己完結的な行為である。つまり人にとって、声を発するということは、それ自体で快感をもたらす行為であると言える。その発せられた音は、意味内容(シニフィエ)をもたない純粋なからっぽの音である。そのからっぽの音の中に特定の条件のもとで、恣意的に意味内容が与えられていった。それが言葉が成立してきた歴史である、としている。そしてその点をもって、人が他のチンパンジーやゴリラと別れた理由のひとつであろう、としている。声を発するということ自体を快感だといだけることが、人間がここまで高度な「言葉」という記号を獲得できた理由である、らしい。