名画を見る眼

名画を見る眼 (岩波新書)

名画を見る眼 (岩波新書)

もちろん、絵というものは、別になんの理由をつけなくても、ただ眺めて楽しければそれでよいという見方もある。それはそれで大変結構なことに違いないが、しかし私は自分の経験から言って、先輩の導きや先人たちの研究に教えられて、同じ絵を見ても、それまで見えなかったものが忽然として見えるようになり、眼を洗われる思いをしたことが何度もある。(p,189)

 僕たちが芸術作品に触れる時、僕たちはその作品そのものに感動するのと一緒に、その作品にまつわる物語も同時に消費しているはずだ。作品の鑑賞の仕方として、それが正しいとか間違っているとかではなく、そういったものもアプローチの1つとしてあるよと認められるはずだろう。だいいち、そっちの方がおもしろいし。
 本書では、ルネサンス直前のフランドルの画家ファン・アイクの作品から、印象派登場直前のマネまで、15作品を取り上げている。続刊もあるようで、そちらでは印象派以降の画家が取り上げられているようだ。
 1番おもしろいと感じたエピソードはレンブラントのもの。晩年、不遇であったレンブラントは第2の妻ヘンドリッキエ(ただ、いろいろな問題により正式な妻とは一生なれなったのだが)の肖像画を数多く描いている。それはとても地味なものであったので、人気は出ず、それによりますますレンブラントは貧窮することになった。それでもレンブラントは描きつづけた。たとえ表層の段階が一見地味になってしまっても、それが深く人間の内面を描写できるものであると信じていたレンブラントは決して自分の信念を曲げなかったのだ。それを芸術家の傲慢ととるか、それとも芸術への真摯なる献身ととるか。経済的に厳しくなっていく家計にたいして、ヘンドリッキエにレンブラントができたことは、ただ彼女は描くことだった。
 また、僕はテレビ東京でやっている「美の巨人たち」を毎週見ているのだが、その番組のアイデアを、この本からもってきていると気づく場面が多々あった。