チャイコフスキーコンクール

 4年に1度、夏のはじまりのモスクワで1か月の間、チャイコフスキーコンクールは開かれる。権威ある国際音楽コンクールとして有名なこのコンクールは、新人ピアニストたちの登竜門である。本コンクールで優勝した演奏者には、世界中から演奏会の依頼がやってくる。つまりピアニストのマーケットとしても機能をしている。
 著者はこのコンクールに審査員として何度も参加している中村紘子である。中村はこれまでのコンクール優勝者に思いを馳せ、現代のコンクール事情について考えを述べる。
 現在、世界の新人ピアニストのコンクールは飽和状態にある。そしてそれらのコンクールはほとんど、減点方式で採点される。そこでピアニストたちにもとめられるものは、課題曲を正確に完璧に弾ききる技術力である。優勝を目指すピアニストたちは、ただ完璧を目指して演奏し、その結果コンクール自体は平板で味気ないものになってしまう。彼らは完璧を求めるあまり、自分の持っている才能を封印してしまっているかのようだ。もちろん才能といっても、むちゃくちゃに鍵盤をたたけば良いというものではない。才能豊かな演奏とは、圧倒的な技術力に裏打ちされた演奏でなければならない。デタラメと狂気の一線をくぐりぬけて、そこはようやくたどり着ける場所である。しかし、現代のコンクール事情では、こんな困難に挑戦していく意味を見つけづらい。
 中村はこの現状に憂慮する。20年後や30年後、このようなコンクールに参加していたピアニストたちが年齢を重ねてつくりだすピアノ界は、いったいどのようなものになっているのだろうか。
 しかし、僕はそれほど悲観する必要はないと思う。本当の才能とは、そんなにつまらないものじゃない。本当の才能は、こんなつまらないコンクールなんてあっというまに圧倒していってしまうだろう。本当の才能とはそれほど絶対であるはずだ。少なくとも芸術を信じる人間であるなら、そんな才能の存在を信じていかなければいけないと考える。