成熟と喪失

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

 日本近代文学の中の名著。取り上げられているのは第3の新人たちの作品で、僕も全ての作品を読んでいるわけではない。それでも、充分理解できる評論となっている。
 日本の近代化以降の、そして敗戦後の民主化以降の日本家庭における男と女の関係、特に夫と妻の関係について論じている。
 近代以前の日本の「家」では、夫は妻に母の姿を投影し、無意識のうちに赦免を求めていた。しかし敗戦後の民主化以降、妻は夫のそんな近代以前の求めを拒否する。近代以前の楽園を夢見ている夫は、妻にとって恥ずかしい存在とならなければならない。
 うまくまとまりそうもないので、興味深いところを引用しておく。

なぜなら「成熟」とはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認することだからである。(中略)「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」をひきうけることである。(p,32)

娘は「みじめな父」に同一化する必要はないが、息子のようにそのみじめさから自力で抜け出す能力も機会も与えられていない。自分を待ち受けている人生が、所詮思うようにならない男にあなたまかせの舵を預けて、「いらだつ母」のようになることだと観念するせいで、「不機嫌な娘」になる。娘は息子と違って「いらだつ母」に責任も同情もないから、この不機嫌はいっそう容赦がない。(p,259)