終わりなき日常を生きろ

 95年に出版された、宮台真司の代表作。著者を有名にした「ブルセラ少女」と、サリン事件直後の「オウム真理教」の2つの問題を取り上げて、「終わりなき日常」というキーワードを軸にして論じている。
 「終わりなき日常」に適応できた存在として「ブルセラ少女」を、適応できなかった存在として「オウム真理教」をあげている。社会は豊かになり、80年代の日本はまさに繁栄がしょうけつしていた。それにより、社会の中にあった倫理観や道徳や幻想が少しずつなくなっていった。そのような時代において、何が正しいか悪いかなんて議論はナンセンスである。その点で、「ブルセラ少女」の存在は正しい。これは良いとか悪いとか、倫理的であろうとする人間は、すでに失ってしまった幻想を強制する存在であり、それはサリンを地下鉄にばら撒いた「オウム真理教」と変わらないのである。
 急速な近代化によって、共同体の中で失われた幻想のところに、誇大妄想的な「偽者の父親」が侵入し強烈に支持されるようになる、という指摘は面白い。大正期の繁栄からの大東亜共栄圏と、80年代のバブルから90年代のオウムとを対比させて語っている。
 あくまでも、90年代の半ばに書かれた本である。現在とは事情はかなり違ってきているだろう。