禅と日本文化
- 作者: 鈴木大拙,北川桃雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1940/09/01
- メディア: 新書
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そもそも禅とは、8世紀に中国で発達した仏教の1形態である。その教義は、大乗仏教と変わりない。
禅は、無明(アヴィディア)と業(カルマ)の密雲に包まれて、われわれのうちに眠っている般若(ブラジュニャ)をめざまそうとするのである。(p,3)
無明や業は、知性に無条件で屈服することころから始まる。禅はこの状態に抗う。論理や言葉を拒否する。それによって、事物の現象的表現を超えて、実存を獲得できる、らしい。
美術の、「わび」の精神とは、貧困である。消極的にいえば、時流の社会のうちに乗っからないということである。「さび」は、見た目の無虚飾や古拙な不完全性に存する、単純さや無造作な仕事ぶりに存する、説明できない要素を持っている。
非均衡・非対称・「一角」性・貧乏性・単純性・さび・わび・孤絶性・その他、日本の芸術および文化の最も著しい特性となる同種の観念は、みなすべて「多即一、一即多」という禅の心理を中心から認識するところに発する。(p,21)
本の内容は、さすが名著といわれるものである。もともと禅が言語化できない、という構造を持っているのに対し、論理性の強い英語で書かれた文を翻訳したこの本は、奇妙なねじれ現象を起こしているようである。そこもまた、おもしろい。