社会ひきこもり

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

 新しい発見はなかった。僕が今までメディアで得た情報の、細部を丁寧に慎重に説明しているといった印象。
 その中でおもしろかったもの。
 健常な人間であると、「社会」「家族」「個人」の3つが、どこか1点で重なり合っている。一方ひきこもり患者だと、その3つが乖離した状態にある。
 社会人は、自らの可能性を断念して、組織内で期待される一定の役割りを引き受けることが義務づけられる。しかし、今の日本の学校教育では、この断念し引き受けるという「去勢」がうまく機能しない。日本だと、女性は「女の子なのだから」という理由のもとで、幼いうちから諦めの経験を多数しているため、「去勢」がうまくいく。
 学校とは、平等や個性が重視される「均質化」の局面と、内申書や偏差値が重視される「差異化」の局面の、2面性をもつ。こういった場所は、嫉妬やいじめの温床になりやすい。そして、学校は自己の決定を遅らせるモラトリアム装置として作用していて、学校独自の価値観を強要してくる。