一億三千万人のための小説教室

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

 少子化時代に、この題名はギャグだな。
 高橋源一郎が小説について語る。彼の小説に対しての愛が文面からあふれてくる。
 本書を読むことで、高橋源一郎が言葉というものや、小説を表現するということに、非常に意識的な作家であるということを再確認できる。
 高橋は小説と韻文の違いをこう説明している。詩とは形が生命である。目には見えずとも、はっきりと存在するある形に向かって、詩とは志向していくものだ。それに対して小説は形を持っていない。小説には志向するべきものを持たぬが故、いくらでも、いろんなものを吸収できる可能性を持っている。
 本文中に何度も出てくる、小説を「つかまえる」という表現は好きだなあ。小説を「書く」ではなくて、「つかまえる」。うーん。

小説というものは、たとえば、広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から抜け出す少年、のようなものではないでしょうか。
そこがどれほど居心地のいい場所であっても、見晴しのいい、小高い丘に座って、はるか遠くの地平線のあたりを眺めていると、なんだか、からだの奥底から突き動かされるような衝動にかられる。それは、ここではないどこか、へ行きたいという衝動です。