タナトスの子供たち

タナトスの子供たち―過剰適応の生態学 (ちくま文庫)

タナトスの子供たち―過剰適応の生態学 (ちくま文庫)

 「コミュニュケーション不完全症候群」の続刊にあたる本。前作は以前読んだことがあったが、まだ若かったせいもあってか、よく理解できていなかった印象がある。
 本書では、女オタク文化の(最近は腐女子というのだろうか、あまりいい響きではないな)「やおい」について論じている。98年刊行の本であるので、まだ「ボーイズ・ラブ」ではなくて、「やおい」。両者の間には違いがあるらしいのだが、女オタク文化に疎い僕には、よく分からない。
 さて、結論のところを簡単にまとめると、
 現代の日本社会は男性社会である。社会より、少女たちは大きな抑圧を受けている。恋愛しろ、きれいであれ、また頭も良く、品行おだやか、将来はいい妻になり、またいい母となれ、そして何より性的欲求の対象の商品としてのみみなされている。それらは少女たちにとって、大きなプレッシャーである。

無邪気に「世界は私のためにある」と信じることができなかった、「世界は私のためにあるんじゃない。一見そうみえていてさえ、世界は私をそのうち確実に世界の思いどおりにしようとしている」と激しく思った少女たちにとっては、それは虐待だったのです。(p,333)

 「やおい」とは、そのような少女たちにとって救済であった。男しか出てこない物語で、「攻め」と「受け」のキャラクターを登場させ、性的世界の体系を仮想する。自らに架せられた恋愛と性愛という自意識から逃れ、現実世界のシステムに対抗する手段として、「やおい」は機能する。「やおい」とは力ない少女たちが、この世界の理不尽さから解放するための装置であったのだ。

ヤオイ少女たちは、「永遠に人形遊びをしていようと決めた永遠の少女たち」なのだ、と私は思います。(p,332)

 そして少女たちは、自己を分裂することで、一方は「やおい」の世界に安住の地を見つけ、もう一方は、現実の世界で妻や母として一般的な人生をおくる、という道をえらんだ。
 これは、女オタク文化にかぎらず、男オタク文化や若者文化全般に敷衍していける発想だろう。僕が1つ目に引用した文章など特に、ドキッとさせられてしまった。