カーニヴァル化する社会

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

 団塊ジュニアが見つめる、現代の若者社会。ネットで話題になっている本である。
 現代の若者たちは、ME*1だけでI*2が欠如している状態にある。それは、「自分」を「自分」であるとする内的メカニズムが欠如していて、社会の中で他人との間係の中でころころ変わる「自分」というものを集合した存在。それが現代の若者像である。
 これには納得。佐伯啓思が言うところの、他人に自分の「生」を承認してもらいたいという欲求、それが大きな割合を占めているとかんがえていいのではないか。本書の中でも、「自己への嗜癖」の状態にある、と書いている。
 自分のいる社会環境にあわせて、その都度要求される自我を形成していく、そのような現実に適応するため、若者たちの間には「宿命論」が広がる。自分に与えられた役割りを運命だとして受け入れ生きていこうとするということだ。ここにおける「宿命」とは、「革命」と対峙されるイメージとしてあげられている。これはかなり実感できるなあ。
 合理的な革命を夢見ることのできなくなってしまった現代において、アメリカの「ニューエイジ」運動*3などやオウム心理教の中から、いくつかの特徴を見つけられる。それは、非合的な問題もどうにかして合理的なものへと移しかえていこうとする動きと、非合理的なものをそのままの方向へ突破していってしまうという方向性だ。「ニューエイジ」運動が前者、オウム心理教が後者。

*1:客観的自己

*2:主観的な自己

*3:宗教的な問題を、例えば処女懐胎などを、現代科学の面から、合理的にとらえなおして成立させていってしまおう、とする動き