町人文化の開花

 講談社現代新書の「日本の古典」シリーズ、4つめ。本書は300年におよぶ江戸文学を紹介している。いい本なのだけど、今はもう絶版。
 まず江戸時代を、元禄時代、安永天明時代、文化文政時代、の3つの時代に分けている。
 元禄時代、目安になるだろう元禄元年は1688年*1か。ここが江戸文学のはじまりである。西鶴芭蕉近松が代表的な人物になる。お金儲けを明るく肯定したり、セックスを奔放に語る西鶴の文学はバロック的だと表現できる。芭蕉は庶民のただの娯楽だった俳諧を、芸術の域まで立った1人で高めてしまった。芭蕉の俳句のキモが、「否定の表現」のところにあるというのは、おもしろい指摘である。近松の時代はその2人からは少し遅れる。近松の時代になると、儒教朱子学の影響で人たちの心へ対し、抑圧が強くなる。それが、近松の心中もののなかにあらわれている。総じて、元禄時代の文学は、コトガラをそのまま表現し、激情をむき出しにする文学であると言える。
 安永天明時代、安永元年は1773年。おもにその前後のあたりがあたるのだろうか。西鶴の文学をバロックと評したが、この時代の文学はロココ調、女性的であると表現できる。軽快な洒落やユーモアには富んでいるが、力強さやたくましさに欠ける。川柳や狂歌、短編小説は生み出せても、豪快な長編小説は生み出せない。現代で言うと、大正時代に似ている。読本、滑稽本黄表紙、洒落本など数多く現れるが、代表的なのが「雨月物語」の上田秋成だろうか。

安永天明期は、江戸初期から元禄時代をへて発達してきた文学が、ひとつの頂点に達した時代である。現代のわれわれが江戸趣味とか江戸ごのみと言うとき、その原像は安永天明期に完成されたものである。(中略)現代文化と江戸初期からの文化の頂点にあって、両者を2分する時代とも言うことができよう。(p,84)

 この時代を境にして、日本の歴史は近代化を歩みはじめたとすることもできる。
 1787年にはじまった寛政の改革以降、大きく文学は変わっていく。それが文化文政期の文学である。この時期の文学はその前の安永天明の文学と比べると泥臭く、低俗になったような印象を受ける。しかし、それはそれでたらしい美を作り出している。1つめの特徴が、文学の商品化による物語の長編化である。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を思い出せばいい。それから、文学の写実化である。これには社会がもうすでに近代化をはじめていたといったものに、つながるだろう。為永春水の「春色梅児誉美」といった人情本の会話文などは、驚くほど写実的である。
 物理的に書物を見れば、江戸時代は和紙が洋紙になった時代であり、それにより出版点数や出版部数が驚異的に伸びた時代である。

*1:「プリンキピア」は1687年