翻訳成立事情

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

 名著である。
 明治維新後、日本は欧米列強に追いつくために、多くのものを海外から強引に移入した。入ってきたものの中には、もともと日本にはなかった概念をあらわしている言葉もあった。本書では、それらの言葉をどのように日本語に翻訳したのかについて述べる。
 明治維新時にできた翻訳語には、大別して2つの種類がある。1つが、新しく言葉をつくったもの。もう1つが、もとから日本語にあった言葉に、新たな意味が付け加えられたもの。
 1つ目の例だと、「社会」や「個人」、「近代」などが例に挙げられる。これらは新たな概念を表現するために、急遽つくられた言葉である。しかしこれらの言葉を、「社会」は「society」として、「個人」を「individual」として、当時の読者は理解することはできなかった。これは当然で、その言葉の表す概念を正しく理解していないのに、その言葉を理解するのは不可能である。結果、ぽっかり意味が欠如してしまった言葉だけが、文中に残ることとなる。この意味の空っぽの言葉は、しばらく使われている間に、オリジナルの意味とは異なる意味を獲得していって、市民権を得ることになる。
 もう1つが、「自然」や「権利」などである。これらは、もとから日本にあった言葉にくわわる形で成立したものである。現在の日本語の「自然」には、日本語古来の「自然に(ordinary)」の意味と、開国時に翻訳されてきた、主体と客体としたときの客体を表す「nature」の意味が混淆してしまっている。また、「right」を翻訳した「権利」は、もともと日本語のもっていた「権」のイメージにひっぱられて、高圧的なニュアンスに変質してしまっている。
 日本人がもとから翻訳文化になじみやすいという特色を持つのと同時に、意味のあいまいな翻訳語であっても、なんとなく高尚な印象を抱くので、多くの人が進んで使ってきた。そのため翻訳語は、日本語の言葉としてなら定着してきた。これらは最近のカタカナの外来語にも当てはまるだろう。しかし翻訳語とは、元来1つの言語体系の中でいちづけられていた言葉を切り離したものであるため、その切り離された言葉だけの翻訳語を眺めても、本来の意味がなかなか分からないのは当然である。