小説世界のロビンソン

小説世界のロビンソン (新潮文庫)

小説世界のロビンソン (新潮文庫)

 小林信彦が自分の人生を振り返りながら、自らの文学観をつづっている。小説への小林の愛が、全編に満ちている。
 小林の文学的思想がどのようなものであるか、簡単に言ってしまうと、2点ある。1つは、現代の小説技巧を駆使し復活した19世紀文学的物語(つまり、ジョン・アーヴィング)、もう1つが、純文学も大衆文学も、さらにはジャンル小説の枠すら超えていってしまう物語(つまり、カート・ヴォネガット)である。
 重箱の隅をつつくことしかできない文学研究や、文学の物語性というもの認めない文壇への皮肉を含みながら、小林は漱石や太宰、エンターテインメントと純文学の違いなどの違いについて、非常に明晰に述べている。
 フッラトキャラクター(平面的人物)とラウンドキャラクター(立体的人物)の違いの点より、漱石の「猫」を論じていく手並みは見事である。
 また、太宰の滑稽さ軽さの部分に焦点をあて、太宰の物語作家としての才能を認めている。これは、どこかの本で高橋源一郎も書いていたけど、僕も非常に納得できる。馬鹿みたいな鬱屈した話ばかり書いてないで、「お伽草子」のような作品を、一生書いていけばよかったのに。
 ミステリ小説は、ある1つの謎を中心にして、そこへ向かって、円を描きながら物語は希求していく。SF小説は、ある1つのアイデアを中心にして、そこより、物語の地平を切り開いていく。この指摘は面白かった。

語りたいこととかある思い(フット・フェティシズムでもなんでもいい)を1つの幾何学的な物語に組み立てること、読者にあたえる効果を考えながらエピソードの順序をいれかえること、語り手をどうするか(一人称か3人称か)を考えること、伏線をフェアに張ること、眠る時間を削って何度も細部を考え、ノートを書き換えること――作家の誠実さとはそれしかない。(p,378)