日本の近代小説

日本の近代小説 (岩波新書)

日本の近代小説 (岩波新書)

 取り上げられているのは、明治初期より大正時代の芥川龍之介あたりまで。
 維新後の日本の小説は、2つにわけられる。1つは、江戸時代よりつづく劇作もの。もう1つが、当時の社会や世相を反映した政治小説である。
 そんなときに現れたのが、坪内逍遥の「小説真髄」である。この「小説真髄」の精神とは、西洋のノヴェルを日本に輸入しようというものである。しかしその実態とは、政治小説を否定して、江戸劇作を高尚とするものだった。つまり、馬琴を写実的にして、春水を高尚にしたものだった。逍遥の思想には、上記のような二重性があった。
 逍遥によって行われた、小説を芸術にする運動を受けついたのが、二葉亭四迷の「浮雲」である。現在この作品は、精緻な描写と言文一致体の口語文の小説として有名である。しかしこの時点において、近代日本文学のテーマとなる日本近代知識人のジレンマという主題が与えられているのは、重要なポイントである。
 逍遥の示したもう1つの方向性、江戸劇作を発展させるというものを達成したのが、硯友社の面々である。
 次に取り上げなければならないのが、自然主義文学の作家たちである。日本の小説が近代思想の体現として成立したのはこのときであり、それは現在までの小説の基盤となるものである。自然主義の作家たちに共通するのが、彼らがロマン派の詩人であったということである。この韻文から散文へという、空想から事実へというロマン派詩人たちの運動が、日本での自然主義文学の実質である。つまり、自然主義文学とは「事実」によって表現された「詩人」の像であった。そしてこの思想の土台には、明治維新より輸入されてきた西洋科学への過度の信頼があった。
 自然主義文学に対立する形で、荷風漱石、鴎外の3人の作家が上げられる。彼らはともに、近代日本社会の西洋化へ向かう不可能を実感し、困難を抱えた知識人という共通点を持つ。荷風のジレンマは、わずかに江戸の香りを残る花柳界にたいする浪漫的ともいえる礼讃に結晶されていく。鴎外は、西洋の移入が功利的な面のみに重点をおいて行われ、日本の社会もそれにより変質していくのを眺めるに、歴史小説という形を借りて、日本人本来の精神の復活を試みた。漱石は、日本と西洋の知識にまたがる圧倒的な断絶をみつめ、欺瞞をもってして自由や平等という西洋の思想を受け入れるか、それを受け入れずに知識人としてのアイデンティティーを喪失するかという、ジレンマに悩まされる。
 白樺派の作家は、自然主義文学の延長線上にあると考えられる。しかし彼らは自分たちの新しさを正しさであるとする自信をもっていた。これは、それまでの作家たちのもっていた社会に対する思想の欠如として現れる。これにより、白樺派の作家の人道主義個人主義とは、単なる自分の好悪を基準とした人道趣味、個人趣味といったものになったのである。
 そして、プロレタリア文学新感覚派の誕生は、1次大戦の終了という時代の方向転換より出現した新しい文学であった。