「市民」とは誰か

 佐伯啓思が、日本で語られる「市民」像と、欧米での「市民」像との違いについて、論じる。
 まず、戦後の日本における「市民」とは、

もっぱら、反政府的、反権力的な立場にたった、ある種の政治的自覚を持った個人、将来においてわれわれが目指すべきプラス・イメージの自画像なのである。(p,32)

 日本の多くの社会学者にとっては、古代社会から、封建社会、絶対性王制、近代市民社会、という歴史発展の図式がある。そして、近代社会の形成のためには、市民による絶対権力への革命を経なければならないという、革命史観がある。このことが、日本人の民主主義に対するイメージを決定させている。歴史の進歩主義、市民主義、民主主義はいわば三位一体の存在として、日本人の記憶に植えこまれている。
 しかし、そのようなイメージは西洋の「市民」とは符合しない。西洋の「市民」には2つの側面がある。1つは、古代ポリス国家的な美徳をもった市民である。それは、国家のために自分の身を犠牲にするという、義務感と責任感である。もう1つは、近代的な市民である。私的な権利から出発し、自由や民主主義、そして博愛と平和に価値を置くような市民像である。西洋の歴史とは、いくつもの時代が重なり合い、それらが少しずつ融解するようにして、出来上がっているものである。1つの革命をもってして、それを歴史の変換点とするような歴史観は間違っているといえる。
 日本人の「市民」像には、上記の1つ目のイメージの市民が欠如している。これは、そもそも明治維新のときに、西洋の言葉を強引に日本語に移入しなければならなかった背景に起因される。つまり、わが国の学問はすべて翻訳学問である。そのことによるねじれが、ここで発生しているわけだ。明治の学者たち、福沢諭吉中江兆民は、このことに対して自覚的だった。しかし、大塚久雄丸山真男の時代になると、それは忘れさられてしまっている。